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都市を多面的に観察したい

デジタル・ネイティブの僕たちは孤独に夢を見るか?

 孤独死、引きこもり、社会問題として現代表出されたとされる現象がある。

一方で「おひとりさま」「一人カフェ」など、「孤独のグルメ」などを代表されるような一人をターゲットとした商品が都市に生まれているのも事実だ。

 

 私は郊外出身だが、都市と田舎での生活というのはかなり違うものだとよく耳にする。都市は孤独だが自由で、田舎は人付き合いがある(それが時に共助となったり鎖にもなり得る)というのは上京した友人からよく聞く言葉である。ここで分かるのが孤独にも人付き合いにもプラスとマイナスの要素があるということだ。

 

 ここまでとりあえず私の考えた孤独について触れたが、タイトルにはデジタル・ネイティブと示した。現在SNSの発達によって孤独が変容したとする社会学者も多い。SNSでコミュニケーションを取ることによって実際に会うことがなくても孤独感を緩和できるという人もいる。しかしむしろ私はSNSが孤独を増幅させているという側面について話をしたい。

 

 SNSに流れてくる情報はオープンであればあるほどポジティブな投稿が占めるのは事実であろう。例えば友人と遊びに行ったことや日常生活におけるポジティブな投稿が多い。そのような投稿を見て辛くなってしまう人もいるだろう。自分の生活と友人の投稿を対比して辛くなったり何か言葉に表せない、もやっとして沈んだ孤独のようなものを感じてしまうのだろうか。

 

 SNSによって孤独感が緩和されたという考えは確かに一部は正しいかもしれない。しかしSNSによって孤独が解消されることはないのは間違いないだろう。デジタル・ネイティブの我々の感情や脳でもクラウドのように身体と分離してしまうことはない。結局我々は他人のポジティブな投稿にしんどくなって、ポジティブな投稿を共に喜べない自分にもしんどくなる。きっとSNSによってその感情を満たすことは難しい。

 

 都市やインターネットに生きる我々は孤独を解消するために、会話をしたり友人が何をやっているか確認をするためにSNSを見るが、それによって孤独が増幅することすらある。しんどくなることを知っていながら孤独を緩和するために孤独に突き進んでいく。孤独を夢見る人々が真に孤独から解放されるにはどうしたらよいのか。それとも孤独と共にどう生きるのか。そんなことを考えながらSNSに浸ってしまう自分がいる。