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都市を多面的に観察したい

生存バイアスということ

「生存バイアス」という言葉から解放されたのでこの文章を書くことにした。

 

私はこの一年あまり、大学院入試が終われば就活に追われる、そんな院生生活を送っていた。

 

私は院試期、ネットに流れるいろいろな院試体験記を読み漁り、「大学院浪人したけど、頑張って次の年に受かりました!」とか「大変だけどなんとかなった!」みたいなのを読んではしんどくなっていた。その時わたしは「人の成功体験は誰も救わない」ことに気付いた。

 

訳あって私が大学院に進学しようと決めたのは大学の卒業後であったので、母校の推薦もなく、無職として院試勉強をしなくてはいけないある種極限的に追い詰められた状態だった。そんな中「人の失敗談」やら「暗い曲」に救いを求めようとしてしまったもので、人の「合格体験記」には「また生存バイアスだ」と切り捨てていった。大学院の入試は専門的で、専攻や研究室によっては倍率も3~4倍くらいある。だから成功した人の裏にはそれ以上の失敗した人がいるはずなのだ。それなのにネット上では「成功体験」しか語られない。そんなことで私は皮肉を込めて「また生存バイアスか」と吐き捨てていたのである。

 

しかしわたしはその後半年くらいの試験勉強を経て、志望する大学院に合格する。もちろん合格したことはうれしかったが、過去の自分が妬んでいた「生存者」になってしまったことに苦しめられた。だからこの文章を書くにあたっても「生存者」に立ってしまった自分が書いてもいいのかと何度も書いては消してを繰り返していた。

 

それでもこの文章を書く気になったきっかけは就活である。私は研究することも好きだったので博士課程に行こうかM1の夏くらいまでは考えていた。なのでM1の夏は先輩から勧められた長期インターン1つのみの参加で、それ以外は本を読んだり就活のことは何も考えず過ごしていた。

 

そんな気持ちが変わったのはM1の秋~冬くらいだろうか。同期が外資系の内定を貰い始めたり、スーツ姿が目立ち始めたとき、漠然とした焦りや不安を感じたのである。あの大学を卒業して無職になったときに感じた、周りの仕事の愚痴までもが妬ましく感じたあの感覚が繰り返し思い出され、自分はもう働かないと耐えられないだろうと思い始めたのである。

それでも当時は業界も会社も詳しくなかったため、合同説明会だとか交流会みたいなところに参加して「とりあえず就活してますよ」と自己暗示することで安心感を持とうとしていた気がする。そんなこんなだったのでM1の冬のインターンもほとんど落ち、でもまあそれなりに学歴もあるし何とかなるだろうと思っていた。

 

そして私はその後50社以上に本エントリーをすることになる(ちなみに理系院生の平均エントリーは7,8社らしい)。インターンも含めればESは70~80枚は書いてて、総文字数にすれば卒業論文を超えそうなくらいの文字数を書いていたと思う。結果として45社に落とされ、学歴もあるのに準備だってしてるのに、OB訪問もしてるのに、相談もしてるのになんでこんなに落ちるのだろうと7月半ばにはじめて内定が出るまで半年以上悩まされ続けた。

 

しかしその一方でようやく生存バイアスから解放されたと思った。「就活のアドバイス」を聞いて改善し、それでもなお45社に祈られた後、ようやく内定が出た。ここまで頑張ってきて、それでもなお自分のことを「生存者側」だと思わなくてもいいのではないかとようやく自分を受け入れることができたと思えたのである。

 

「45社落とされたけど、内定貰えたからあなたも大丈夫」なんて言うつもりはない。それこそ「生存バイアスだ」と指摘されてしまう言動だからだ。「私も受かったからなんとかなるよ」という言葉は一見優しい言葉に見えて誰も救ってはくれない。「自分を自分として受け入れる」ことができるように行動すること、そうやって積み重ねていく日々だけが自分を救ってくれたのではないかと今になって思う。