sisouron

都市を多面的に観察したい

2018.05.15(かため)

■身近な人5人の平均が自分?

 先日twitterで「身近な5人の人の平均をしたのがあなたです」みたいなツイートを見て本当か~?と思ったのでブログを久しぶりに書いてみる。よくよく調べるとこの言葉はアメリカの起業家であるジム・ローンという人の言葉だとか。確かに人間の成長において周りの環境って凄く大事だと思うし、現に私の周りには尊敬出来る人がいて、お互いに良い影響を与えられていればいいなと思っている。

 その一方で自分の身近な5人が自分に似ているかというと結構違くない?って思う。まず人付き合いから多くを得たいと考えるとき、私なら自分と似ている人間よりも自分と異なる人間と付き合う。なぜなら似ている人よりも似ていない人の方が自分には持っていない考えを持っているので、そこから得られるものも多いのではないかと思っているからである。先日某大学の教授が「自分の考えていることに対して話し合える他分野の仲間を作りなさい」とおっしゃっていたが、まさにその通りで自分の持っていない考えを持っている人って凄く大事だと思う。

 

■で、身近な5人とは……?

 初めこの「身近な5人」というフレーズを見たとき、思い浮かんだのは仲の良い友人だった。しかしジム・ローンが言うことにはこの5人は「あなたがもっとも多くの時間をともに過ごしている」人らしい。そうしたら大多数の人々は家族を挙げるのではないかと思う。なるほど確かに家族なら自分に似てるかもしれない。しかし私の家にはペットもいないので家族を含めても5人にはならない。そうしたら誰を選べばいいんだろう。

 きっと「あなたの身近な5人は?」と聞かれて悩む人とぱっと思い浮かぶ人がいると思う。ぱっと思い浮かぶ方へ、おめでとうございます。この先はたぶん読まなくて大丈夫。

 恐らく身近という言葉には空間的/精神的という2つの距離感が含まれている。多分ここで言われる身近は精神的身近さの方である。精神的身近さってなんだろうって考えたとき「気軽さ」という言葉が頭の中に浮かんだ。

 ちょっと話はズレるが先日「夜更かしLINE」というのが欲しいねという話を友人としていた。内容としては夜になったらそのLINE上で誰かが「なんか話しない?」と振って起きてる人とただ話すだけというものなのだけれど「んー、それって個別でLINEすれば良くないか?」と言った後にLINEってなんか難しいなと思ってしまった。

 Twitterはひとりごとが主で、それに対して返信をするという気軽さがある。一方でメールはひとりごとではなくて特定の相手がいて何か用事があってお願いをしたりするときに使うことが多い。その点LINEは中途半端な位置にあって、twitterのような多くの人の目に触れるひとりごとはあまりしないが、グループというクローズドコミュニティの中では「誰か暇?」みたいな気軽な誘いはしやすい。つまり何かメールで頼むような用事が無いと使ってはいけないといった感じでは無さそうである。しかし用事が無いのに相手にLINEをするというのは中々難しそうだ。

 話がかなり脱線してしまったので元に戻そう。身近な人って「用事とかがなくても気軽に連絡しあえる人」の事ではないだろうか。私は誰かと連絡をするとなると仕事のことだとか、なにかと行きたいところとか理由をつけて遊びに誘ったりしてしまうが、その人と会うということを理由にしたっていいはずだ。それに気軽な話をしあえる人って大事だ。そう思うとなにか取り留めのない話って実は価値があって、そういう話を共有できる人は尊いのではないかって気がする。お風呂上りにコーラを飲みながらこれを書いてる、人付き合いってもう少し気軽に考えてもよさそうだ。