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都市を多面的に観察したい

2018年3月9日~2018年3月14日

3月9日

 3月9日といえばレミオロメン。当時キットカットと一緒に販売されていて買ったことを思い出して調べてみたら11年前とか出てきて鳥肌が立った。

 話は変わるが結構前から後輩に「いつも「エモい」とか「温泉」って言ってますよね」と指摘されている。そのたびに恥ずかしくなって「エモい」という言葉を使わないようにしようとしていたが、先日エモいを使わないようにすることをやめた。
 「エモい」という言葉はやめようとしてやめられるものではないし、本当にエモいものに出会ってしまうと「エモッッッ!!!」ってなる。声に出すかどうかは別として。
 今思いつくエモかった思い出は昨年に行った「江戸東京たてもの園」だと思う。また今年も行きたい。あと温泉も。行こうよ温泉。

3月10日

 教員免許状を無事取得した。有り余る教職の履修のおかげで単位数自体は特に心配は無かったが(卒業論文は少し心配だった)、教員免許状の取得は凄く心配だった。自分の専門から離れた高校公民科にはプラスで何科目か必要であり、取得に関わる履修が卒業間近まで入っていたからである。簡単に言えばフル単をしないと高校公民科の免許は落としていたので本当によかった。
 教員免許状を取得できたが今年の春から教員になるという訳ではない。確かに昨年の教育実習で3週間だけだったが、生徒と話をしたり勉強を教えたり部活を見ることが楽しかった。普段から朝早く起きるのも苦手な自分が毎日朝6時には起きて7時半には学校に行き、17時まで学校にいて、家でも採点や連絡等(いわゆる残業?)をしていても楽しくて初めて自分に向いている仕事を見つけたなと実感するほどだった。
 ただその一方でまだまだやりたいことがあって、そのためにもう少し勉強したいという気持ちがある。生徒に勉強を教える側の教員にはなれたけど、まだまだ教わりたいことが多すぎる。もう少し生徒のままでいたい。

3月11日

 今から7年前の今日、東日本大震災があった。自分は直接的な被害は受けていないが、インフラが止まったり間接的な影響を受けた。今でも夜は蝋燭で生活していたのを思い出すし、当たり前の生活が当たり前でないことや、文明に頼りすぎていた自分が文明から見放されたときの無力さを感じていた。
 自分の身近に被害の大きかった地域に住んでいる人もいて、ふとその時の話をしてくれるので聞く。自分はそういったテレビや人から教えて貰った僅かな断片的な情報でしか判断することは出来ない。だからきっと本当はそこには自分の知らない文脈があるのだと思う。
 その場にいなかった自分は相手を完全に理解なんてできないのだから、相手の感情を分かるなんて言うことは出来ない。相手の感情を理解しようとして、それでも出来なくて、相手の感情を完全に理解なんて出来ないけど、話を聞くことなら出来る。

3月12日

 次の用事まで時間があったのでハンバーガー店に入る。これが大正解で店内にはソファーやクッションもあり、かなり寛ぐことができ、そこで本を読んだり物を書いていた。
 先日大好きな社会学者の方が素敵な日記を書いているのに影響を受け、今自分も日記を書いている。いつまで続くのかな。
 お店はオフィス街の真ん中にあって客層も30代くらいの会社終わりの女性といった感じの人が多い。自然と話も仕事の人間関係のことが多くなる。先日研究室で人間関係の悩みを抱えている友人と話をしたが、人が関われば多少にかかわらず何か問題が起きるんだなあと感じた。社会に出るにしてもアカデミックに進むにしても恐らく一番悩むであろうことは人間関係であって、自分の実力の無さとか給料が少ないとかは二の次な感じもする。つまり良い人間関係を保つことが出来れば大体の悩みは減るのでは!?それが難しいんだけど。
 隣に若い(といっても自分よりは少し歳上だと思う)カップルがやってきた。耳に入った感じ、まだ付き合い始めで社内恋愛のようである。凄く甘酸っぱい。甘酸っぱかったのは勿論レモネードのせいだけではない。

3月13日

 友人が藝大に受かる。受かった後だから言えることだが、受かると思ってた。
 彼女含めいつも周りの友人には影響を受けている。むしろ「自分」というものは無くて、周りの友人の生き方や行動にかなりの影響を受けている。悪い意味では流されているというのかもしれない。
 音楽を作るときも完璧なオリジナルなんて無くて、いつも聴いている音楽や文章、絵などの作品(インプット)があって、アウトプットされていく。
 最近になって「自分」というものは新たに作られたものではなく、色んな人から影響を少しずつ受けて形作られていくものが「自分」になっていくのではないかと考えるようになった。そういう意味では「自分」は刻々と変化していく。「類は友を呼ぶ」と言うが、私の場合は友によって類が作られていくという感じかもしれない。
 自分は周りの友人に恵まれている。自分も誰かに影響を与えられればいい。

3月14日

 朝起きていつもの習慣としている暦を読む。「ホワイトデーはきちんと返すこと。」今年貰ったバレンタインデーは母親とピアノの先生の二人だったが、この二人は毎年くれる。
 ピアノの先生には毎年チョコレート等を買って返すようにしているが、母親には何を返そうか。なんか母親相手にチョコレートを返すというのは何かむずがゆいような気持ちになる。友人や恋人やお世話になっている人には恐らく抱かない感情である。恥ずかしいので母親宛に買うのはやめて家族全員に大好きなお店のタルトを買うことにする。